週にバイリンガル ニュース

週にバイリンガル ニュース

とがらす

(頻度=101)

あえて「捨てる」と書かずに「置き忘れ」と書きました。 
そうです。 忘れている人が多いのです。 
忘れ物としてはペットボトルを筆頭に、テグス類、釣り針、食べかすなど多岐に渡ります。 
最近はゴミ問題に神経を尖らしている自治体も多いです。 
釣り人の出すゴミの多さに立ち入り禁止になった場所の多数あります。 
一部のこころ無い人のために釣り場が消えて行くのは残念です。 
地球をきれいにする「こころ」も置き忘れないように! 

工夫

(頻度=41,082)

昔は山へ行く時は誰もが綿のシャツを着ていた。  そして、冬の高山へ行く時だけ毛(らくだ)の下着を着た。  昔は透湿性や速乾性のある下着などなかったし、毛の下着は高価なのでほとんどの人は持っていなかった。  そこで、工夫をした。  一つはレイヤー技術と言われるものである。  これは歩く時は出来るだけ薄着にして汗をかかないようにして、体温に応じて重ね着をするのである。  これをこまめにやる。  二つ目の方法は汗をかいて下着が濡れたら、脱いで汗を絞った上で、少し寒くても濡れた下着を着て体温で乾かす方法である。  これを着干しという。

仲間外れ

(頻度=14)

私は、夏休みの前に図書室で、「さっちゃんのまほうのて」の本をかりました。 
さっちゃんの手が、まほうを使って、何ができるのかなあと、わたしは、わくわくしながら読んでみました。 
そしたら、さっちゃんは、右手のゆびがありませんでした。  ゆびがないから、さっちゃんは、ようちえんで、「お母さんごっこ」で遊ぶとき、お母さんになれませんでした。  さっちゃんは、友だちからなかまはずれにされました。  さっちゃんは、ゆびがないから、本とうのお母さんになれないんじゃないかと、はだかのままかがみの前に立って、じぶんのすがたを見て、かなしくなりました。 
わたしは、右手のゆびがないだけで、みんながさっちゃんをいじめなくてもいいのにと思いました。  さっちゃんも、わたしも、うでも、耳も、足も、あたまもあります。  わたしは、さっちゃんが、できないことをかわりにしてあげたりすれば、みんなでなかよくできるのに、と思いました。 
さっちゃんは、お母さんに、どうしてみんなみたいにゆびがないの?

喧しい

(頻度=1,163)

家計のことはいつさい任してあるが決してじようずなほうではない。  といつてむだ費いもしない。  ときに亭主に黙つて好きな陶器や家具を買うくらいが関の山である。  家計簿はつけたことがない。  私がどんなにやかましくいつても頑として受け付けない。  そういうことはできない性分らしい。  近ごろではこちらが根負けして好きにさせてある。  結婚当時の私の定収入は月百円、シナリオを年に二、三本書いて、それが一本二百円くらいの相場だつたから、どうやらやつては行けたが、彼女の衣類が質屋に行つたことも一、二度あつた。  昭和八、九年ごろから十三年ごろまでは一番楽な時代で、この間はずつと八百円くらいの月収があつたから、保険をかけ、貯金をし、家具を備え、衣類を買うことができた。

大雑把

頻度=5,660

電卓登場以前は、平方根&立方根、その逆に二乗&三乗、指数&対数、三角関数など、いろんな演算ができるものが作られていました。 原爆製造や戦艦の設計などには、専用の数式を実装したものが作られました。 計算尺は普段なかなか目にする機会はありませんが、それでも比較的多く見るものには、大ざっぱにいって二種類あります。  まっすぐな直線型と、円板型です。 

きる

頻度=222,178

外部の評価によって計られる「外部評価による力」。 
自主性など様々なプロセスの中で発揮される内側のスキルともいうべき「じぶん力」です。 
この2つの力。 組織を維持していくにはどちらも必要ですが、どちらを重視してコミュニケーションをするかで、組織の質は大きく変わっていきます。 
人は誰でも自分は大切な存在だと思いたい。  そのために生きています。 
ですから周囲の人の評価を気にして「外部評価による力」を過剰に重視する傾向があります。  「外部評価による力」は他人から見て、明快な評価だからです。 
特に「外部評価による力」偏重になりがちなビジネスシーンでのコミュニケーションでは、上下関係重視になります。 
活発な意見の交換が行われず、上意下達な単調なものになりがちです。 
上から下という関係での仕事は、作業を求めるだけならその方が合理的という考え方もあります。 

厚かましい

頻度=748

神世界の教えでは、奇跡は「神との取り引き」によって得られるものとされている。  ”かろうじて生き残った被災者”は全員が神世界信奉者だったのか?  いくら何でもそこまで厚かましいことは言わないだろう。  ”言葉で言い尽くせない奇跡”を得た者は、どのような神との取り引きの結果、その奇跡が得られたのだ?   この編集後記に書かれた「かろうじて生き残った被災者の中には、言葉では言い尽くせない奇跡があったという。」という言葉は、神世界の神などと取り引きをしなくても奇跡は得られると言っているのと同じだ。  つまり、この編集後記を書いた者は、神世界の神を貶める内容を書いているのだ。  私から指摘されて自分が書いた内容の誤りに気づき、今ごろ青くなっても、もう遅い。 

がっくり

頻度=1,090

変化と言っても、また一歩悟りに近づいたとかというものではありません。  「思考の停止」状態が元の状態にもどりつつあります。  これを後退と捉えるか、それともそれも自然な状態(「起こる」ことであって、「起こす」ことではない)と捉えるかによって、その人の心的態度は変わってきます。 
後退と捉えれば、正直がっくりきます。  体験にしがみつきたくなります。  もう一度、思考停止の感覚を取り戻したくなります。 
でも、これってエゴのトリックなんです。  エゴは過去に起こった体験にしがみつかせることで、その人を過去に連れて行こうとするのです。  なぜなら、エゴは過去・未来という時間の中の住人だからです。

ゆったり

頻度=12,435

もう一人ヘチを狙っている人がいたが、脈釣りで仕掛を激しく動かして釣っていた。  手品のように魚を掛けていたが・・・オレはこの人のせっかちな姿を見て・・・まったく惹かれなかった。 
そしてこの「おじいさん」の釣りにどんどん嵌っていったのである。  ゆったりとした釣り。  しかし、ポイントをつぶさに観察している。  オレには「大人の釣り」に思えた。 
豊島園のプールを利用した釣堀はその後なくなってしまった。 
「おじいさん」はその後、意外とご近所さんだったことがわかり商店街なんぞで会っても挨拶するようになった。 

大袈裟おおげさ

頻度=7,497

ここ10年ぐらいかな?   まだ10年経ってないかもしれない。  墨絵って言うのは体験が大きいんですよ。  自分の人生経験っていうのかな?   大袈裟に言うと。 
それで何を得たかが現れちゃうんです。  絵に自然と入りやすいっていうのは、僕も意識はしてないけども難しくだけはしないようにしてるから。  それはすごく難しいことなんだけどね実は。 
絵本の時と仏画の時と、トーンが全然違うと思うんですけど、そういう時は気分も違ったりするんですか?  あんまり変わらない? 

てっきり

頻度=1,506

急に わざと左側に、急発進して 真横に進行して来て?  わざと 当てに、、、来るから 私は 驚いて?  とっさに! 機転を気かして 、右側車線に 逃げるスペースが有ったので、東側右車線に 回避して!  逃れました。? 当たりやと、てっきり思い?   人の多い名古屋駅前で 何故わざと 当てて来るだーと!  怒鳴ってやりましたが、 平然と知らぬ顔をして、私を 無視していました?  怪しいセダン乗用車でした ?  何か 異様な 胸騒ぎを 感じながら、ぶつかる行為を して来た相手に?

なるべく

頻度=37,615

・除草を目的とした機械的方法は、作物とともにある雑草を駆除。  これが必要な場合には、直接の雑草害を軽減するとともに、発生密度低減に不可欠。 
・土壌や大気の水分条件が効果を左右する。  なるべく乾燥条件で。  作物に近接する場合、作物への悪影響は避けられないので、作業は慎重に。 
・作物のない期間には、作物への加害を度外視できるので、大胆に行える。  機械作業による耕種的方法も、意図する場合にはここにも該当する。 

すかっと

頻度=527

それでは心がリラックスしません。  そんなことは思わないで、好きな色のクレヨンでも動かしてやれ!   くらいの気持ちで描ければいいんです。  ちょっと時間が空いたときに、1枚10分ぐらいで描いてしまいます。  グリーンが好きですね。  気持ちがスカッとする。  何かが吐き出されているのでしょう。 

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